渋谷ハロウィンの集団狂気と虚無感

職場が渋谷なのだけれど、毎年この時期になると決まって街がハロウィンモードになるのです。ハロウィンだけに関して言えば、道玄坂はそれなりで然程でもないのだけれど、センター街の方では地獄の釜の蓋が開いたかのような人波になってしたりします(道玄坂は、然程ではないは、もしかしたら語弊があるのかもしれない。と言うのは、ふつうに仮装している人間が結構な割合で見られるという意味では)そして、夜中には事実上の歩行者天国になってしまい、渋谷発のバスが交通を寸断されてしまい夜のバスに乗れなくなってしまうほどだったりする。一義的には、都市機能が飽和しきった夜間人口によって完全に麻痺するほどの人出といっても過言ではない。大体、どれくらいの人がいるかと言うと、通りには花火大会が終わった後の人出が出ているくらいを想像するのがいいと思う。

今回は、そんな渋谷で暴徒化する集団まで(停車中の車が破壊され、警官は喧嘩を売られている)先週末、現れたのでそれにまつわるお話。結構前からこのハロウィンの状態は顕著になりつつあり、見ていたのだけれど最初の頃はブエノスとかウームとかクラブの周り程度で盛んだったくらいな感じだったので一部のトライブの集団程度がやっていて統制も取れていて、遊び方にも品があったし、クラブ行くついでくらいな感じだったのだけれど、最近はただ街を徘徊して何も目的意識もなくそこに留まり、ひたすら酒を路上で煽る、悪く言えば洗練されていない、ドンキホーテの安物のチープな仮装品もしくは、それすら身につけていないただただ、日常やな対する不満と怨嗟、そして現実の嫌悪をするような嫌なムードが溜まっている人が増えたかのように思えていたのです。そして、彼らの共通点は、ただただスマホをあの世とこの世をつなぐ篝火よように抱えて街を見ていなく、画面を見ている。ただ、その一点なのです。そこには、クラバーのような共同幻想もなければ、暗黙のルールと言った点もなく、ただただ自分に都合のいい世界を見せるSNSと、その承認欲求をみたす自撮のための器具だけしかないのです。なので、ただただその行く末というのは過激化と自己を中心にした閉じた世界の衝突でしかないというのは、ただただ自明であり、自爆して自壊していく狂気でしかなかったのかもしれないなどと振り返って思うのです。まあ、SNSはあらゆる感情をディストーションのようにコンプをかけて増幅していくので素敵でもあり怖いよねーという。革命期のフランスのルボンの群集心理の法則ではありませんが、自閉気味の群集心理とか空恐ろしく、誰もが未体験ゾーンよね…いつまでも見つめています。それでは、おやすみなさい。

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