1週間長渕剛生活
週末の夜をいかがお過ごしでしょう?
どうも、1週間の人体実験を経過したオオシマです。
最近普通を自任し、一般的に言ったとしても普通よりの友人に(村上春樹の小説で自分のことを普通という人間を信用してはならないという文がありましたね…)
君には情緒がない、人の心やエモさがない(確かにあまりに無感動ゆえに感動するものを求めて、カルチャージプシーになってしまったり、夢中で頑張っている人などを見るとちょっと噴き出してしまったりする心の弱さ&ヒネクレ感があるのは否定できない、我ながら…)などと言われたのでその原因には、長い時間聴いている音楽の影響があるのではないか?と仮説を立ててみたのです。
なのでその友人に人間の心を学ぶにはどんな音楽が最適か?と漠然した質問をしてみたところ長渕剛を聴けと言われたので…根が素直なので一週間、長渕を聴いてみることにしました。
人体実験の前提として被験者は、乾杯とセイセイという掛け声を出す、シュワルツネッガー並みに筋肉を鍛えているシンガーソングライターで昔は細かったらしいという情報程度を知っていました、これはサンプルとしては非常に一般的であると言えましょう。
参考までに僕は、普段はプログレとジャズ、80'sのロック・ファンク、たまにメタルなどを好んで聴いています。邦楽で好きなソロシンガーは、UA、Chara、aiko、及川光博、スガシカオ、岡村靖幸などです。
まずは、ざっと聴いてみたアルバムを列挙します(これとは別に代表曲をざっとspotifyの人気リストで聴いてみてはいます。意外と凝り性なので割とちゃんと聴いています)
音楽的なアナリーゼをまずすると、テンション一切なし四和音ほぼなしで(時折、ドミナントで7thを使う)程度にとどめていてトライアドでがっつりとにかく雄弁でシンプルなフレームとなっています。これは、アレンジが変わるフォーク時期から近年まで共通した特徴となっています。あとは、同主単調のマイナーコードに行ったときかならずマイナーのサブドミナントにいくというのが特徴的な進行であり、ぐっと短調に寄せてくるが、さほど特徴といった特徴はないといったところでしょうか(良くも悪くも)、あとはひたすらにリード楽器もストリングスも四和音を匂わせるといったことはなく、ペンタトニック主体でただただ雄弁であるといった特徴になっていました。
が、音楽的特徴を置いといてただただ伝えることがありあまるといった雄弁な歌詞のメッセージがマシンガンのように乱射される、ライブにおいては単純なフレームをただただ拡張し、基本的なフレームのまま(時には録音レベルは歪み、デス声並みにしゃがりきった声で)慟哭のようにライブのように同じメッセージを繰り返し続けるという構造に恐怖すら覚えました(だって、15分とか続くのだもの爆)
こんな構造だけでできているのは、そうねぇマノウォー位なものでしょう・・・
これは、長渕剛のまとった筋肉がなせるスタミナと自分の限界を超えて体を傷め続けるストイシズムによるものなのでしょうか?あとは、気になったのが震災前のアルバムであっても絆-KIZUNA-といった曲に象徴的であるように震災以降にこの国を覆った単純であるが雄弁なそして少しダサいワーディングをゴリっとただただ人知れず発信し続けていた点、先見の明orこの国自体が長渕化していったように思えるといった点で、黙示録的であるといった点が指摘できるでしょう。
が、結論なのです。
僕の凍え切った心を溶かすには至らず、ただただ全力で親兄弟以上に切々と俺はお前を応援し続ける(だれに求められなくても・・・)といった姿勢は、文科系にはシンドイ通りこして、恐怖を覚えるものでした。
僕は、暫く長渕が聴けないでしょう・・・。
果たして、次回はあるのだろうか?1週間○○生活のネタ募集中です。
それでは、良き週末を。