秋とジビエの血の味のエトセトラ。

タバコをやめてはじめての秋の空気。僕は、澄んだ朝の空気の中で酷くタバコの匂いと苦味を懐かしく思うのです、と言っても最近は、副流煙の香りを嗅ぐと少しクサくない?なんてグルーヴは、分かってきたりもしていて、そんな自分に嬉し悲しい今日この頃です。人間の認知なんて酷く脆いもので儚くて哀しい。

さて、秋になったと感じたりするというのも一種の習慣にしか過ぎないのかも知れないのだけれど、酷く通俗的で大時代的なのは、重々承知はしていながらこの季節になると酉の市で熊手を買い求めたりするのです。(これは、去年のものなので新しいものを買ったら神社に返して燃やします)

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バンドなどという水物の渡世をしているうえに、平成最後に録音をしようなどと思い立ちましたので、今年はとびきり巨大なやつをいつも熊手を買っている花園神社の和彫りの人懐っこいお兄ちゃんから買おうと思うのです(そして、ここの熊手はセンターが必ず猫でとても可愛い)

そして、秋はジビエの季節でもあって。よく行くボロボロのフランス料理屋さんがあって、そこで鴨のコンフィが並ぶようになると、滋味深く、赤ワインの濃厚な味と濃厚な野生の鳥さん感とでも言うべき軽く飛びそうになる味が楽しみになってしまい、想像するだけで、少しばかり汚らしいのだけれども涎が垂れそうになる。そして、僕はやっぱりソースは血の味が少しするのが好きなのです、なぜか。

まとまりがない雑文になってしまった。それではまた。