野崎りこんのリリックについて

歌は、歌わないし、そもそも歌っていても調子っぱずれなのだけれど、詩を読むのと聴くのは割に性に合っているのか、結構好きです。ウェールズの詩人ディラントマスとか。アメリカの現代詩とかも割に。そんな、僕なのだけれど、最近の日本語ラップのリリックがクオリティとともに批評性とともに同時代性が高くてとても好きなのです。そんな中でも最近の日本語ラップの中では個人的にリリックの質的に群を抜いていると考えてしまうのが野崎りこんさんです。一曲まずは、聴いてみてほしいです是非。

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http://j-lyric.net/artist/a05cc18/l040900.html 歌詞全文はこちら。

個人的には、僕が歌詞でガツンと来るなこれはって部分で無意識下でも意識下でも重要視してしまう点は、まさに歌いだしなのですがこの歌いだし、ヤバいですよね。

”エンジェル伝説6巻だけない部屋”

情景描写を提示する手段として初っ端でどんな感じなのこの背景はというのはベタな方法論だとは思うのですが、何だろうここまで余所行きでない感じで地方都市っぽくて部室っぽいそして、そんなイケてない感じでもやもやしてる感じをこれだけで表現しきっている訳で…これが他の漫画ではいけないですよね。この感じ微妙に外してるその漫画かよって感じで。で、そのバースでは抽象的な情景描写のみで最後のところで北野君は最後笑えたかな?と漫画の登場人物でオチもつけているという。個人的に邦楽の中で歌いだしという意味で、衝撃を受けたのはNO1ソングのスガシカオのストーリーという曲の”とりあえずそういう風に笑っているのはどうしたらいいのかさえもうわかっていないから”って凄い90年代末っぽい感じの虚無的な歌詞だったのですが、それ以来の衝撃だったこのImaのリリックは、ちょっと外行きの虚無でさえなくてそれ通り越してロードサイドの似たような均質化された町があるけど、そんなもんだよねって外行き感さえないTHE3名様みたいな虚無感さえ日常化している感じさえあってヤバいです、個人的な雑感として。

あとは、バースで今という言葉が今が3回繰り返される感じですが、今という言葉が3回繰り替えされるのですがこの繰り返しが単に3回されるだけでちょっと今という言葉の意味性が曖昧に溶けてしまう感じで曖昧な僕らはとつないでいるのがうまいですよね。そして、均質の景色にうまく溶けたふりをしてると、ケツで噛みしめるように言っているのが昨今のとりあえずちゃんとはしてるけど、でも本質的には非常に頑固に自己をもってはいるけどまあ合わせておくよ的な感じがあって素敵なのです。

そして、最後のバースの前のリリックヤバいですよね。

いいとももSMAPもない世界はでもそれなりで回ってる

00年代末はもう世界は終わるってるけどどうしよ?的な歌詞が多かったのですが、ポストアポカリプスすら通過したけど、終わった世界でも終わらないままそのままなんとなく世界は続いているって価値観があまりにも虚無的で素敵だと思います。個人的にはぜひ、平成最後の夏が終わりかけている今聞いてほしい曲です。

それでは、また。