騎士団長殺し

どうも、ハルキストの風上にもおけぬ筆者です。

意識が高いハルキストであれば、プレミアムフライデーに発売直後の騎士団長殺しを買ってバドライトでも片手にイタリア料理店でバドパウエルのピアノトリオでも聴きながらやれやれまたハルキの新作か、まるでずっと夢であらかじめそう決められてかのようにページをめくっていたに違いない、それは、そうなるようにずっと仕組まれていたからだ。まるでトーストにバターが塗られるかのようにねと思っています。

僕がページをめくり始めたのは、発売から1週間経って騎士団長殺しか。ひょっとしてドン・ジョバンニ?そしてちょこっと粗筋を見るとどうやら画家の話らしい。ということに思いがいたり、これはひょっとしたら久々に面白いのではないかと思ってからの次第です。

1巻を読み終わり、まずは思った感想。

(筆者は、個人的にはハルキの短編小説、蛍・納屋を焼く、レイモンド・カーヴァーの翻訳とかフィッツジェラルドの翻訳とかはかなり好きですけど、これ以下の内容はかなり強烈なある意味ディスになるのをご容赦願いたいっす。)

 

今作もそうなのですが最近の村上春樹の本は、

誰かがすでに書いてしまっている可能性も否定できないのですが、

おしゃれヤングアイテム風な包装紙の課長島耕作である。と感じでしまった次第です。

(無論、島耕作自体はディスってなくて、この漫画はこの漫画でうんざりしちゃうくらいの中年性描写のねっとり感と加齢臭を漂わせていてサラリーマンの娯楽としては大人感(たとえコスプレだとしても)があって、総退行化している日本人民の大人感・おっさん感覚の最後の牙城という意味では俺は潔くて好きです、それはそれで)

昔の一人称の頃の村上春樹は、満たされない感覚とエバーグリーンなオザケンのような感覚をフィジカルな肉体描写の生々しさで釣り合いをとって危うい感覚があった気がするのですが、もう今作も含め近作は村上テイストの話を進める心のない人形のように消費される肉体としてのセックス描写(そして、それに伴う読者へのご褒美としての現実離れした恍惚感)そして、その描写に伴う加齢感が鼻を突くとしか言いようがないのです。そして、あまりに痛みがなく安易にそれが与えられすぎていて一種の退行感覚さえあるといえようということなのです。何か、役を与えられた村上春樹の主人公がやれやれこんな感じなんじゃないかな?と安易に模倣とその拡大解釈を無感動に進めているような。その安易な感じを適当なアイテム類(グラモフォンのクラッシックや、豪奢な料理類の描写)で雑に包んでいるというか何か。しかもそれが絶妙にバブルっぽいというところも含め。(昔の選曲及び、描写ってのはこれしかないと言えるチョイスだった気がするのだけれど、特にドアーズのソウルキッチンのエッセイと曲のマリアージュとかは、絶妙だったのだけれど)

まあ一言で言えば腑に落ちないというか、ちょっとねぇという。

偉大なるマンネリズムと自己模倣に陥った巨人は、時にゴダールのようにチャーミングにさえなりはするのだけれど、次作に期待ということで筆をおきたいと思います。