ライムスター@Tokyo Maps
2日連続更新、ブログタイトルも改め、ちゃんと更新していきます。
私のバンドのサイトです、よければビデオと音源チェックしてね〜。宣伝終了。
はい、日本語ラップオールドスクーラーの大御所、ライムスターのフリーライブに行って参りました。Tokyo Mapsというjwaveの企画らしい。
そして、ライムスターの前には、野宮真貴もみれました!
東京は夜の7時って生でピチカートの名曲も初生で聴けたのだけど、やっぱ生で聴くと本物だー、お洒落だー、渋谷系ー、すごーいと頭ケモノフレンズになってましたw
しかも、アレンジがアコピとビブラフォンとドラムとベースで、4ビートのアレンジになっていたのですが、アレンジが秀逸でした。4ビートにすると結構歌メロもフェイクしちゃうのかなーとか心配したのですが、全くメロディラインは、フェイク入れず、ニクい感じでした〜。
そして、ライムスター。初めてちゃんと不勉強ながら生で聴いたのですが、思っていた以上にオールドスクーラーなのですね・・・完全にアフリカバンバータとかDJフラッシュとかその世代と完璧同じなDJスタイルで
バイナル回してスクラッチしてっと今時こんなライブが見れるとは・・・目からうろこでした(生まれてないけどw)
そして、敬語でいい姿勢で歌うラッパー、KohhとかQNとかちょっとやばそうで病気っぽい(失礼だと思うけど・・・いい意味で)な日本語ラッパーばっかり聴いてきた俺には非常に新鮮でした。大人でコンサバな感じでいいですね。
4列目だったのでスッゲー近くて盛り上がれたし。あとは、結構ラジオのノリで宇多丸さんが喋っててそのまんまじゃんと一人ほくそ笑んでしまいました。やっぱ。
そんなGW最後でした。皆様は、いかがお過ごしでしたか?
Suchmosの衝撃。
お久しぶりです、ブログタイトルも改め、ちゃんと更新していきます。
私のバンドのサイトです、よければビデオと音源チェックしてね。宣伝終了。
閑話本題。
知人とSuchmosを見に(そして、サカナクションやらyahyelも見たいな的な・・・)
で行ってきました。VIVA LA ROCK。
で、目的のSuchmosです。圧巻でした。
ライブでみた感想ですが、みんなはいはいジャミロクワイジャミロクワイというのですが、そうではありません。てか、あまり似てないぞ。ちゃんと聴こう。
人は見た目の印象が9割というけど、お洒落な見た目だけだと思う~。
これは、各楽器を仔細に聴きながら検討していけば全然わかる自明の事実です。
鍵盤:プログレのキーボーディストです。しかも、リックウェイクマンタイプ。
鍵盤の構成が見た感じ、ミニムーグに、エレピ、それとノードって感じでした。(遠くの二回座席から見たので、音による推測がまじっている。けど主要な感じはこれ)
あと、ライブだと思っていた以上に音色の切り替え&ムーグのポルタメント掛けまくったぶっといベース音でゴリゴリ攻めていたので(音作りもジャミロクワイ特有のうっすらとしたリバーブ含むパッドの場面が全然なかったけどなー。)曲調は違えども、これ典型的なプログレアレンジにしか聴こえない。マジで、聴こえない。しかも芸達者。切り替え切り替え、シャカシャカ音が変わって楽しいけど、ジャミロクワイ要素ないぞ。
ベース:巧い。ってか、ほぼほぼアシッドジャズ要素はこのベースさんが担保している笑、結構16のノリでベースがゴリゴリファンキーなベースラインを弾いてても鍵盤は、プログレで後述するギターのノリは8分っぽい感じで弾く場面が結構多い。かなり音使いフュージョンっぽい感じだけど音は、ゴリゴリモダンでとてもご機嫌。
ギター:聴いた感じの印象。リフの人だよね感が個人的には強い。カッティング主体というよりはひたすらリフリフリフ(カッティングは主要場面ではしているけど、そこまで印象に残るプレイはしていない。この人の印象に残るプレイは完全に単音リフの時)、しかも歪ませたときの音が粒の細かい歪みで空関系ディレイゴリゴリ掛けでちょっと80'sなハードロック感があって全然ジャミロクワイじゃないぞ。しかもものすごく前のめりでカッティングしてて、良くも悪くも切迫感があってお洒落というよりはロックバンドのギターな感じ。だが、好みだ。
ドラム:すっげー、前ノリでいけいけどんどんなロックバンドのドラムで。アシッドジャズ要素はまったくない。だけどベースと合わさると疾走感のあるロックなフュージョンみたいな感じになるので、よい。
DJ:思っていた以上にライブで聴くとギターより音量がでかくて、びっくり。しかも、スクラッチがはいると16のノリを意外にこの人がベースとともに担保しているのがわかる。カッティングよりもキレキレでノリをだしている。影の功労者。
ボーカルヨンス:男が見てもかっこいい。以上。
ヨンスは、マジでロックバンドにいるかっこいいんだけど天然でヤンチャなヤンキーをナチュラルに出していて非常に良いです。いい意味で。結構楽器隊だけをきくとオタク感がでちゃう可能性があるのをゴリッとマイルドヤンキー感でまとめる。そんな感。
これは、すごいまあ人気出るよなー。いいバランスだ。しかも見た目がかっこいい。
MCのとき、ちょっと溜めて喋らないのとかも大物感あるし。
Suchmos最高です。(たまにあからさまにこれ聴いて作ったよね?って曲がでるのもまたなんか、天然なご愛嬌で許せる~。アレンジロックな感じだし。)
ららぽーと/ララランド
デイミアンチャゼルのララランド見てきました。
ミュージカル不感症で幾星霜過ごしてきたのですが、結構宣伝の写真の時点でこれ俺ダメかも・・・と思ったのですがそこまで思ってたほどダメではなかったです。
(宣伝の写真のヴィヴィッドな色彩とアホっぽいダンスのポーズからどういった思考回路かは説明はできないのですが、個人的に得意ではないディズニーランド的なめちゃくちゃ苦手なアウラを感じ取ってしまったのです笑、まあでもものは試しで見てか見ようというところで行ってきました。。。)
はい、前説以上です。
拗らせたサブカルものがみたネタバレという前提で次項、感想です。
ストーリーは、要約してしまうと非常に平板で単純なストーリーです。
夢を追いかけてハリウッドに来た男女(女優と純粋なジャズの再興を理想のナイトクラブの経営で目指すピアニストで幾分、という過分に夢見がちでまさにララランド状態です)が色々あって付き合って、現実と折り合いをつけた男の売れ線ファンクソウル系バンドの仕事が忙しくなってすれ違い、その後女の方もチャンスを掴んでさあこれからだ。という所で男とも仲直りする。さてこれからどうなるの?
で時間軸が結構乱暴に飛びます。今まで散々、字幕で季節の表示を出していたのに。
・・・いきなり5年後へ。
大女優になった彼女がハリウッドに戻って来ます。家に帰れば素敵な旦那さんに子供達(だけど、どうやら旦那は件のジャズピアニストではないようです。)
そんな彼女が渋滞に捕まって、パーティに間に合わないとなってふらっとナイトクラブを訪れるとそこはかって付き合っていたジャズピアニストが開いたジャズのお店でした。そこで、あっ(ちょっと気まずいかも・・・)みたいな感じで見ていて、ジャズピアニストの演奏中に昔出会った時に弾いてた曲を弾き始めると、時間軸がファンタジー空間に飛んで最初から彼女との仲を(多分、ジャズピアニストの脳内フラッシュバック)で回想します。しかも彼女との仲を全てを順調に。彼女と結婚して子供まで。
脳内フラッシュバックが始まった時にアニメか!シュタインズゲートなの!?
とか一瞬思ってしまってちょっと吹きそうになっちゃったのですが、
このシーン、強烈な自分が元カノとあのまま付き合ってたらどうなったんだろう?あの時あんなことしてたらなーという各個人へのサウダーヂを産む強制力がめちゃくちゃ強くて(しかも本編を半ば打ち切りエンドのようにえいやと放り投げてえ〜って虚脱している所にこんなキマちゃってるシーンが来るとこの絶対的な強制力が働きます。なんかこの監督、昔流行ったトリップビデオみたいな観客を心理学的な誘導をしていくというか、なんというか、ちょっと絵と本の説得力じゃなくて構造的な強さとロジックで話を駆動させるという作風なんでしょうね。セッションもですね。話が脱線しました。)
最後は、現実に戻ってこれからもお互い頑張ろうね的な微笑みをして元カノは男から去っていく。で終わりという感じですね。
はい。ここからは俺の感想なのですが、まずはオススメ要素。
1、OPのミュージカルシーン。これ曲も良くて(レトロ風味だけど、ラテンの要素の入ったミュージカルナンバー風なケイデンスで途中フルートが入ったりで質感だけ現代的な感じで現代数寄屋みたいな感じで良いです、これ。)ダンスもロケーションも取り方も最高です。←ここが興奮の最高潮。
2、エマ・ストーン。可愛いです。なんかキャラ造形があまり掘り下げられない割に(アニメのキャラっぽい)雰囲気も演技も萌える感じでしかもなんかリアル感がある。
セッションのピザ屋の彼女も可愛かったけど、監督の趣味なんでしょうか?これ。なんか、肉付けが薄くて、アニメみたいな没入感をうむ可愛い女の子ですね。
3、ジョンレジェンド。他の歌が、メロも起伏がなくて平板で、朴訥とした歌い方をされて全然記憶に残らないんですが、この作中で非難される商業主義の権化ソング。めちゃくちゃいいですよ。わざとダサいアレンジにされているのが(やっぱ監督の自分の心理誘導効果のためにこういう感じされるのがやっぱ気にくわない、個人的に。)あるんですが、これ楽曲としてのフレームは最もいい上に、歌唱力がめちゃくちゃある歌でやられるとちょっと中盤たるくて眠たくなってたのが、一気呵成に吹っ飛んでいちゃったくらい。
次、気に食わなかった所。
セッションに引き続き、パーカーの逸話を引用しているのですが、相変わらずパーカーの支離滅裂でぐちゃぐちゃなんだけど演奏しだすと最高っていう所とブラックネスがやっぱ主役の考えから全然、伺えない。漂白された感じ。あと、ピアノの当て弾きちょっとドン引きするくらい、下手だ。。。それと主人公のピアノが音付けがどう擁護していってもヨーロピアンシネジャズっていうかこれヨーロピアンジャズトリオ的なイージーリスニング一歩手前な感じで微妙〜。なんででしょ?毎回これわざとやってるのかな。
話に起伏がなくて眠くなるのを一発、ジョンレジェンドかまし、最後に土俵際で力士が凶器攻撃かます位の禁じ手でバコーンってやっちゃうのなんか、各個人を洗脳して一時的にすげーの、みたってさせる感じ。なんか、透けて見えちゃっていまいち上がりきらない感じ。ちょっといけ好かないっす。
まあでも、ちょっと付き合って長いカップルが見たらいい感じはする!
そんなデートムービーでした。ららぽーととか歴史のない漂白されたアーバンな土地でプラスティックな彼女と見ると良いと思います!良くも悪くもデミアンチャゼルは新世代感そして、アニメっぽい。
みうらじゅん Reprise
結構昔からみうらじゅんが好きなんですが、
最近、知り合いからみうらじゅんのない仕事の作り方という本を借りまして、
天啓を得たりというか、もっと砕けて言えば・・・自己啓発されました。
(基本的なスタンスとしては、筆者は自己啓発er Fuckという所なのだけれど、総体としてこの経験は自己啓発という表現が適切であろうという結論に達した次第です。)
本の批評をしようとして啓発されているという状態は、既に筆者を仮想メンターとして従属関係にあるわけですから、メタ構造としては批評をするのに適切ではないわけですので、ここを踏まえて次項以下では、この本をオススメしたいと思います。
この本は、端的に言ってみうらじゅんのミスティフィカシオンがなくなって、すごいまともな社会人感覚のみが反映された本になっております。でもっと言えば種明かしが理論整然とされ過ぎていてある種、大槻ケンヂみたいな種明かしをひたすら繰り返していくしかもそれがオーケンと違って雑然ではなく、非常に端麗にという不思議な本です。
基本的な構成としてネタバレを避けて言うと、マイブーム・ゆるキャラといった具体的な事例があります。それらが、
なぜそれを行うのか?
どのようにそれを行うのか?
それを他者に納得させるにはどうしたら良いのか?
といった3点が理論整然と具体的な方法論を持って(誰でも実行は可能であるメソッドではあるけれど、暴力的ですらある莫大な量ってのがポイント。)しかも、一見実行不可能に見える。と言う所を超絶優秀なコンサルタントとして開帳し、万事快調に着実に進めていくと言う殆どの軽薄な自己啓発書を超える具体的事例と具体的なメソッドで解説されていくと言う本です。ファンとしては、ちょっと靄がかっていたほうが嬉しいので、少し複雑な気持ちだったのだけれど、これは非常に優秀なビジネス書です。
ぜひ、新社会人の皆様、お手にとってみてくださいませ。
高い城の男
みなさんってアマゾンプライム制作のオリジナルドラマって見てます?
これが、意外にめちゃくちゃ面白いの揃いです。
全然話題になってないのですが、意外にNetflixにも負けないくらい意欲的w
フレッシュアンドボーンズ(生々しいドロドロバレリーナの話。)
ゼルダ(クリスティーナリッチ!が出てるスコットフィッツジェラルドの奥さんの話)
中でも個人的には一番おすすめなのが、表題のこれです。
高い城の男 The Man in th the High Castle。
高い城の男 シーズン1(字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで
これは、原作は言わずと知れたSFの大家フィリップKディックの小説のドラマ版ってことになるのですが(リドリースコットが制作に関わってます、)、合衆国が大日本帝国とナチスドイツによって占領されていたら?というパラレルワールドを描くドラマになっています。物語の開始時点で太平洋側は、大日本帝国に大西洋側はナチスによって占領されています。粗筋とかは小説と一緒になっているので、ネタバレも避けつつ、ここの詳細は言及をしないでおきますが、何が良いのかっていうと原作にはちょっとテンポ感としてここは冗長だなと感じさせるところがビジュアライズされていることによって単純に見た目ですっと入ってくるってところが、舞台としてリアライズされて肉付けされている感を増しつつ、原作では掘り下げられていないナチス高官や日本憲兵に(原作に存在しなかったのが不可解だなーと思ってしまうくらい)オリジナルキャラを設定指定してしかもその人間的苦悩(たんに、舞台設定や職務を遂行するマシーンではなく行きた人間として)が描かれていて、ぶっちゃけこの二人が滅茶苦茶いいので是非見て欲しいなと感じさせます。
それと原作ではキーアイテムになる作中で大日本帝国とナチスが敗北した未来が描かれる(つまり、現実と同様)の小説があるのですが、これが実写化によって設定を変えて映画のテープに変更されているのですがこの描写が滅茶苦茶良いので、この二つをもってしてぜひ見て見て欲しい作品になっています。
やっぱ資本と勢いのあるところが作るのって冒険もできるし、挑戦的で挑発的になりうるなーと滅茶苦茶感心して見ております。お急ぎ宅配便で黒猫さんをただただ虐待しているだけの皆様、ぜひこんなサービスもあるので見て見てください。
それではまた。
草間彌生展
先日、草間彌生展に行ってきました。
草間彌生のもしかしたら、最後かもしれない回顧展になるかもしれないのですが、大ボリュームで全年代の作品を集めていました。ってか久々に新国立美術館に行ったのですが・・・やっぱ普段行くお気に入りの原美術館や現代美術館(・・・ある意味空いていてニッチな展覧会ばかりで快適という成分も含めてかもしれないですが)土日の新国立美術館は、やばいっすね。人人人で人が集まってビッグサイトにでもきている気分になりました。
ちなみに、前はクサマトリックスって展覧会以来で草間作品をみた人の感想です。
結構、ビルディングの周りも凝っていまして周りの木々も水玉強迫verになっていて水玉になっていたり、野外展示されているかぼちゃのミクストメディア(この言葉って展覧会だと異常に多用されるけど、めちゃくちゃ立体物だったら何んでもつけるよねw)自体も外から近づいて見れたり、いい感じです。
一番圧巻だったのは、一番広いホールに180枚のアクリルペイントが壁に一切隙間がなく貼られていて(しかもそれが、総数500枚のうちの一部という)めちゃくちゃ人が多いのにも関わらず、好きな順番で見れるくらいばらけるって位のある種の供給過多と行っても過言ではないマッスでしたね。あとは、各年代で30年代ごろから〜10年代までゴリっと時間軸をたどってみていける構成になっていまして最初のタパスのポーションが過剰な外人サイズでくるのだけれどその後のコースもグランデな感じってのが近いです。個人的には、新鮮だったのは思っていた以上に初見だった40年代のやつとかがシュールレアリスティックでかなりマグリット寄りだったって感じっすね。
あとは、光のイルミネーションのインスタレーションで光と静寂が鏡張り(無限の鏡合わせになってる)ってやつに初めて存在は知って行ったのですが初めて入ったのですがうちもこれにしたいくらい気に入りました。
そんな、雑文書き散らかしにはなりますが近況です。
グッズの列は、ファッキン40分待ちで買えず。とはいえ女の子も好きそうな感じなのでデートにはオススメです。
騎士団長殺し
どうも、ハルキストの風上にもおけぬ筆者です。
意識が高いハルキストであれば、プレミアムフライデーに発売直後の騎士団長殺しを買ってバドライトでも片手にイタリア料理店でバドパウエルのピアノトリオでも聴きながらやれやれまたハルキの新作か、まるでずっと夢であらかじめそう決められてかのようにページをめくっていたに違いない、それは、そうなるようにずっと仕組まれていたからだ。まるでトーストにバターが塗られるかのようにねと思っています。
僕がページをめくり始めたのは、発売から1週間経って騎士団長殺しか。ひょっとしてドン・ジョバンニ?そしてちょこっと粗筋を見るとどうやら画家の話らしい。ということに思いがいたり、これはひょっとしたら久々に面白いのではないかと思ってからの次第です。
1巻を読み終わり、まずは思った感想。
(筆者は、個人的にはハルキの短編小説、蛍・納屋を焼く、レイモンド・カーヴァーの翻訳とかフィッツジェラルドの翻訳とかはかなり好きですけど、これ以下の内容はかなり強烈なある意味ディスになるのをご容赦願いたいっす。)
今作もそうなのですが最近の村上春樹の本は、
誰かがすでに書いてしまっている可能性も否定できないのですが、
おしゃれヤングアイテム風な包装紙の課長島耕作である。と感じでしまった次第です。
(無論、島耕作自体はディスってなくて、この漫画はこの漫画でうんざりしちゃうくらいの中年性描写のねっとり感と加齢臭を漂わせていてサラリーマンの娯楽としては大人感(たとえコスプレだとしても)があって、総退行化している日本人民の大人感・おっさん感覚の最後の牙城という意味では俺は潔くて好きです、それはそれで)
昔の一人称の頃の村上春樹は、満たされない感覚とエバーグリーンなオザケンのような感覚をフィジカルな肉体描写の生々しさで釣り合いをとって危うい感覚があった気がするのですが、もう今作も含め近作は村上テイストの話を進める心のない人形のように消費される肉体としてのセックス描写(そして、それに伴う読者へのご褒美としての現実離れした恍惚感)そして、その描写に伴う加齢感が鼻を突くとしか言いようがないのです。そして、あまりに痛みがなく安易にそれが与えられすぎていて一種の退行感覚さえあるといえようということなのです。何か、役を与えられた村上春樹の主人公がやれやれこんな感じなんじゃないかな?と安易に模倣とその拡大解釈を無感動に進めているような。その安易な感じを適当なアイテム類(グラモフォンのクラッシックや、豪奢な料理類の描写)で雑に包んでいるというか何か。しかもそれが絶妙にバブルっぽいというところも含め。(昔の選曲及び、描写ってのはこれしかないと言えるチョイスだった気がするのだけれど、特にドアーズのソウルキッチンのエッセイと曲のマリアージュとかは、絶妙だったのだけれど)
まあ一言で言えば腑に落ちないというか、ちょっとねぇという。
偉大なるマンネリズムと自己模倣に陥った巨人は、時にゴダールのようにチャーミングにさえなりはするのだけれど、次作に期待ということで筆をおきたいと思います。